
【京都 四条烏丸の交差点のハナミズキ】
一青窈さんの「ハナミズキ」
がヒットしてたころ、
「君と好きな100年続きますように」
なんて
なんかベタベタな恋愛の歌だなぁって勘違いしていた。
このライブで本人が語っているのだが、
どうも9.11と関係があるようなのだ。
そう思って、聞きなおしてみても
歌詞の意味するものがよくわからない。
以下、引用失礼します。
http://dailydrink.exblog.jp/2989922/
1909年から数年にわたって、当時東京市長であった
尾崎行雄がアメリカ合衆国に桜の苗木を贈りました。
そのお返しにと1915年に同国から東京市に贈られたのが
日本でのハナミズキのはじまりで、日米親善の木として有名です。
そのときの原木は今も日比谷公園に残っているそうです。
ハナミズキの花は、4月~5月に開花し、
白色や赤・ピンク色の花を咲かせます。
その出来事から一青窈さんが、ハナミズキの故事を
恋愛につなげて作詞した作品ともうけとられることも多いようです。
しかしこの曲は、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件に、
一青窈さんが、その映像をテレビで見て、涙しながら作ったものです。
【 最初はA4のコピー用紙3枚くらいの詞を書いたんです。
もっと挑戦的な詞でした。それこそ、まあテロという言葉もあったし
散弾銃という言葉もあったし、いろんな自分の汚いものも出しつつ、
最終的に辿り着いていたところが削って削って
「 君と好きな人が100年続きますように 」だったんですよ。 】
(フジTV『 鳥越俊太郎・僕らの音楽 』より)
「 人と人はやさしさを交換できないものか 」という思いを込めて作った曲。
2003年4月に東京・大田区の池上本門寺で行われた
「 一青窈 vs 武田双雲 in池上本門寺コンサート 」で披露されただけで、
ファンの間では幻の曲となっていた曲だったのです。
ライブ終了後から、ホームページなどに、シングル化を望む声が
約1万件寄せられて、結局、発売されたのは、2004年2月のことでした。
そのことはライブでも語られていて、MCではこのように語っています。
「 自分の好きな人の幸せを願うことは当たり前にできること。
一歩進んで、好きな人の好きな人、ひとつ先の幸せを願ってください。
その気持ちが皆に連鎖して、やさしい世の中になると思います。
まずは私から、あなたとあなたの好きな人が百年続きますように… 」と。
幸せ気持ちのの連鎖による平和かわぁ。
これが歌手一青窈が平和に向き合って、
市民に伝えたメッセージなのだ。
ならば、僕は、平和とどう向き合おうかという
話をしたい。
痴漢冤罪を題材にした『それでもボクはやってない』
という映画の冒頭で無罪にもかかわらず拘留される青年に
弁護士が以下のようなセリフを言うわけです。
「裁判は大変だよ。否認してれば留置場暮らし、
半年拘留されていた人も知っている。有罪率99.
9%で、裁判で勝てる保証もない。示談で済む痴漢
事件で裁判を戦ってもいいことなんか何もない。認め
て罰金を払えばそれでおしまいだ。」
裁判がいかに面倒で、
時間がかかり、
精神的にもまいるし、
まして勝てる保障もない
というのは僕自身の裁判経験で
実感している。
社会正義を貫くことよりも
泣き寝入りをしてしまった
方が賢明なのかもしれないし、
実は多くの問題は、
泣き寝入りによって浮かび上がらず
じまいで未放置のまま、
問題が無視できない被害を伴うように
なってようやく明るみに出てくるのだ。
基本的人権と平和主義は、
憲法が掲げる日本の国家の理念であり、
法律家によってその精神は守られなくて
いけないはずなのに、
「立法裁量であるから」といって
審理をしないケースが多いことが、
やりきれない。
政府も国会が助けてくれるならそうするけど、
そうしてくれないから
助けを求めに裁判所来た人に
審理をしないというのは、
文字通り被害者の命綱を断つことだ。
船から遭難して漂浪している人が
やっとみつけた助けのボートに乗ろうと
した時に、手を差し伸べておいて、
手を離して海へ落として、殺すのと
被害者の感覚的には
同じだといっても過言ではない。
今後、日本が
政局が混乱しようとも
経済が低迷しようとも
国家や企業が市民が
平和と基本的人権を
害することのないように
闘い続ける法律家になろうと
思う。
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