2008年12月24日水曜日

とにかく最終ラウンド判定へ

めりくりあけおめ。


こだま < ひかり < のぞみ

のぞみの上をいくものは、

「不屈の精神」というか
諦めない心では

ないかと思います。

リニア新幹線「FUKUTSU」号
・・・・・
全然はやそうじゃあないですね。


齢もひとつ増えまして、
今年も終わるわけでして、

もう決戦の日はやってくるのです。

復習できる科目も増えてきて、
年明けになると
あれもこれで
パニックになるようです。

すでに、
終わった科目の復習ができずに
パニックぎみです。

強烈パンチにつらつきぎみです。

1年目は、模試も期待しないほうが
いいようです。

さらなるパンチにうちのめされるでしょうが。

判定外かもしれなくても、
それでも諦めずみ

ただひたすら
本試験を意識して

勉強していたら

奇跡は起こるようです。


意識朦朧となりながら

倒されては立ち上がり

最終ラウンドの判定まで持っていったら

あとは、

結果を待つしかありません。

負けにもかっこいい負けはある。

北京オリンピックの柔道で
決勝で最後まで攻め続けて負けた 
塚田まきは僕はかっこいいと思った。



不屈の精神で自分に厳しくしながらも
周りが何も見えなくならないようにしたいと思います。

2008年12月13日土曜日

ボロボロになることより 逃げるほうが かっこ悪い

「不合格をする人は、決まって、
いいわけ探しばかりしている」

という

講師の言葉が、

ひどく胸をしめつけます。


なぜだか、司法書士を勉強しているというのは
職場ですぐ広まります。

なのに、すぐ忘れてはくれなくて、
「毎日勉強どう?」という挨拶や
「受かってなー」と言われ続けます。

「司法書士って、難しいの?」って聞かれると
決まって「最難関の国家資格の一つ」とか
「合格率3%未満 3万受けて900人未満の合格者」
「だいだい一回で受かる人は少ない。3回で受かるのが平均だとか」

とかって言います。


臆病者ですね。

NHKの朝ドラ「だんだん」で

将来の夢に迷う19歳の子に
19歳の自分の姿を見せようと
38歳の親父が
再びボクシングのリングにあがる
話があるんですね。

相手は、現役の日本第三位のボクサーでね、
闘って

倒されても
倒されても

立ち上がる姿に感動したんだよね。



結果は、負けだけど、

諦めず最後まで闘う その過程が
すごく大事で

大事なのは結果じゃあないんだよね。

ボロボロになるのがみっともないとか
思うかもしれないけど、

ちょっとやそっと倒れたくらいで

自分で諦めてしまうほうが

よっぽどかっこ悪い。


司法書士の試験って、まさにこの
七転八起の世界。

演習問題とか過去問とか
できたーと思って
6割だけしかとれなくて
いつも6割で

合格の8割なんかに全然無理
なんじゃあないかって
思えてくるわけ。

正直、僕も、
無理だろ
って思いました。

諦めたら終わり。

「模試が最低ランクでも、本番まで諦めるな。
一回や二回で諦めるな。受かるまで諦めず
頑張り続けたら、絶対に受かる試験」

と講師がいつも言っています。


自分でもうだめだって諦めたら、負け。

結果を決めるのは自分じゃあない。

最後まで諦めずに、
苦しみながら、ボロボロになりがら
がんばる姿ー

これこそ、僕だろう。

もはや、逃げることはできない。























 

2008年12月7日日曜日

24歳のクリスマス

研修おわりました。
来週から8時間労働です。

ちなみにですが、
講義が終わるのが5月の終わりで、
試験までの間は1ヶ月しかないんですが、

働いていると
月曜日になったと思ったら金曜日に
なって、月が始まりだと思えば月末になって
しまうような時間の感覚の中で

1年半の勉強の復習をしなければいけません。

恐怖です。


落ちてもないのに
落ちた夢を見ました。

「そりぁ落ちるよな」って悔しそうじゃあない自分の夢でした。

落ちて
悔しいって思えるほど、がっつりいきたいです。

なので、今から、しっかり復習するのみです。
1分でも時間を惜しんで勉強するのみです。

そしたら、合格するでしょう。

なので、今後はあまりブログは更新できないと思います。

ただ、このブログの左の方に、随時更新が
アップされている「ForAfricanslivinginJapan」
は更新したりしますから、
もしよければ見てください。

もうすぐクリスマスですね。

イエスキリストは
人々の罪を背負って死んだわけですが、

自分の死で、人々の苦しみが
なくなるのなら
僕は喜んで死ぬけど

僕が死んでも
世界から戦争も貧困も
苦しみも悲しみもなくならないのだから

僕は、社会問題に取り組むために
生きようと

思ったのは20歳の頃でしたか。