
引越しの荷造りをしていて、
昔の詩をみつけました。
中三の時の詩です。
夏休みの宿題だったので、
花火というタイトルで書きました。
丸山薫という愛知県の豊橋市に
ゆかりのある詩人がいまして、
その方の生誕100周年記念の
作品集に載りました。
大きな画面はこちらから
http://docune.jp/doc/670******
(この詩を引用して、同じ寮で過ごした人とつくった文集でこう記しています。)
中学生でぼんやり詩を書き始めて、高校1年(16歳)の時に短歌を始めました。服部先生という方に指導していただいて、毎週のようにサイゼリアでご馳走していただきました。
さて、この「花火」なんてのはありふれた詩で、大したことないんですが、僕が気に入っているのは「花火のように美しく散りたい」という最後のフレーズです。
死に方というのを何度か考えたことがあります。
一生懸命何かをやっている最中に死にたいって思います。
ぼんやり死ながら老衰をしたいと考えたことはありません。
死に対しては寛容でありたいと思ってます。
いつ死が来ても、受けいれようと思います。
生を受けたのが、神のご意思であるかのように、
死ぬこともまた、神のご意思ではなかろうかと思います。
いつ死が訪れても、思い残すことがないように、
今日も明日もやれることを最大限にやっていくのみに思います。
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私の墓の前に立って 涙を流さないでください
私はそこにいません
眠ってなんかいません
私は1000の風になって 吹きぬけています
私はダイヤモンドのように 雪の上で輝いています
私は陽の光になって 熟した穀物にふりそそいでいます
秋にはやさしい雨になります
(『千の風』 英訳A THOUSAND WINDS 作者 不明)
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いい歌ですね。
死んだら、星になりないなぁって思います。
もし、好きな人(彼女)が死んだら、どうするかというのを、連想するのが好きでした。
そんな連想をしてみて、バイト帰りに泣きながらイナイチを自転車で帰ったり、夢でよく見て泣きました。
こんなことを言うのは失礼に値するのかもしれませんし、
僕が身内を亡くしたことがないから言えるのかもしれませんが、
死が訪れた人というのは、
神が死をお選びたもうた
死ぬ価値があった人なんだと思います。
僕はまだ死ぬ価値があるほどの人間になれていない。
だから死ねる価値をもてるように今日も明日も
頑張るのみです。
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もう十分がんばったので、
そろそろ
夏休みが欲しい。